最近、ブログが楽しくて人生に充実感が沸いて来た!
書きたいことはたくさんあるし、それ以外にもやりたいことが出来た。
以前「人生は壮大な暇潰し」という記事を書いたことがあるが、今の私は “とても良い暇つぶし” を手に入れた。つい「充実しているなぁ」と感じてしまう。
…しかし、私が思い描く“充実した生活”とは、
少し違う気がする。
イメージする「充実した生活」
私の頭の中の“充実した生活”はこうだ。
朝からジムやヨガ・スクールに通って爽やかな汗を流し、日中は仕事をバリバリこなす。
週末には友人とワインを開け、休日は自宅の陽の当たるチェアで一人読書タイム。
家族旅行や出張で海外を飛び回り、家では妻のために手料理を振る舞う。
…という、
なんというか「インスタの世界」みたいなやつだ。(笑)
(世間ではこれを「丁寧な暮らし」と呼ぶらしい。)
実際の充実した暮らし
一方、現実の私は、家でキーボードをカタカタ叩きながら
「次はどんな記事を書こうかな?」と、目の前の画面とにらめっこ。
ジムで汗をかくことも無いし、海外旅行は夢のまた夢だ。
しかし充実感はある。
同じ「充実」なのに、この不一致はどういうことなのだろうか?
答えを探すには、ブログを始める前の自分を思い返すのが良さそうだ。
ブログを始める前の私と現在の私
あの頃は、自由な時間はそこそこあった。
だから、イメージする「充実した生活」に近付こうと、軽く運動をしてみたり、カフェで読書をしたりもした。
けれど、時間はただただ流れていくばかりで、気持ちの変化(=充実感)は特になかった。
まあ、ミッドライフクライシスってのはそうでなくても日々の精力や活力が沸いて来ない。
無理やり何かに取り組んだところで、「充実感」なんて得られるわけもない。
ところがブログを始めてからは、日々のあらゆる出来事が「記事のネタになるんじゃないか?」と思い始めた。
テレビを見ても、本を読んでも、必ず自分なりの解釈がそこにはある。そして、その思考は全て次の行動(ブログを書くこと)に繋がっていく。つまり日常生活の全てに意味が出てきた。
要するに「生きた時間の使い方」ができるようになったのだと思う。
「充実感」の正体
これが“充実感”の正体なのだろうか。
たぶん「何をやるか」よりも、「何のためにやるか」が大事なのだろう。
誰かにとって大事なことは、誰かにとってはどうでもいいことなのだ。
人の真似をした無意味な“充実した生活”は、私にとってはまったく価値のない暮らしなのかもしれない。
正直、運動も嫌いだし、ワインを開ける友人もいない(笑)
私にとっては…(少なくとも現在の私にとっては)、いろいろ見たり聞いたりしたことを自分なりの解釈で世の中に発信することが、意味があって「充実感」の高い行動なのだと思う。
頭の中で描くような「裕福ないい暮らし」ではないけれど、自分の価値観に沿った「充実した生活」は、案外幸福で、そして楽しい。
このことを知れただけでブログを始めた価値があったと言うものだ。
☕今日のアフタヌーンティーのおとも
– テーマ:充実した生活とは?
– 気づき:自分の価値観に沿った「充実」こそ幸福
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