私は数年前から日記をつけている。きっかけは、このブログを勧めてくれた友人が、“娘と一緒に5年日記をつけている”と言っていたのを聞いて、何となく始めた。
書いていない日や、タスクメモで終わる日もあるけれど、それでも気がつけばもう4年。私の作ったオリジナル手帳「じんせい手帖」の1シートにつけ続けている。
ふと、昨年の日記を開いてみたら——正直、1年前の出来事なんてほとんど覚えていない。
面白い発見があったので、今日はこれを記しておく。
昨年の日記から感じたこと
「じんせい手帖」はスプレットシート(表計算ソフト)で作っているので、毎年と同じ日付で列を変えて記入している。従って、昨年の日記もすぐに読み返すことができる。
普段はそんなに過去の日記を見ることはないが、たまに「去年の今日は何してたのかな~?」と覗いてみることがある。
するとそこには、何というか私の人生というか、日々の「営み」が感じられた。
「いや、そりゃそうだろ!」と自分でも思うのだが、覚えていない日記は、どこか別人の生活を覗き見しているような、過去の自分を俯瞰して見ているよう、そんな不思議な感覚になった。
日記から滲み出る人生
内容はとりとめのない日常だ。最近と似たようなことをぼやいていることもあれば、今よりちょっと頑張っていた自分、忘れていた小さな出来事に出会うこともある。
朝起きて、子どもと遊んで、仕事をして、何かに悩んで、何かを感じて、また一日を終える。
その記録を読んでいると、「ああ、確かにこの人(自分)はちゃんと生きていたんだな。」と実感をする。
こんな感覚になったのは初めてだった。そして「これからも日記を続けよう」と思えた。
もしかしたら、読者から見ればこのブログも「単なるおじさんのくだらない“戯言”」かもしれない。(笑)
けれど、これもまた私の人生の足跡として、未来の私にとっては価値のある財産になるだろう。
日記とブログの二刀流
「日記とブログ、両方書くの大変じゃない?」と思われるかもしれないが、確かに大変だと思うことはある。
ただ、日記は完全に自分用で、備忘録のようなものだ。その日の気分で思ったことをそのまま書き連ねるので、何でも書いている。後から読むと意外と面白い。(笑)
一方、ブログは一応“人に見せる”ことを前提にしているから、ちょっと取り繕っている部分もある。
普段考えていることを整理して書くことが多いので、日記とは役割が違う。
強いて言えば——日記は「心」、ブログは「脳」の記録である。
本当なら、日記もブログも一緒くたにして「心」で書きたいところだが、もしそうすると私はたぶん“やっちゃう側”の人間なので、こちらは「脳」をフル活用している。(笑)
「心」の日記と、「脳」のブログの二刀流。
この二つのアウトプットの両輪が、今の私にはちょうどいいバランスなのかもしれない。
(念のため言っておくが、ブログにもちゃんと心は込めているのであしからず。)
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