ブログを始めてから、日々の生活に少しずつ彩りが戻ってきた。
それでも時々、立ち止まってしまう瞬間がある。
――あぁ、これが「ミッドライフクライシス」なんだな、と実感する。
今日はその閉塞感について、自分なりに深堀りしてみたい。
閉塞感の正体
人生の折り返し地点に差しかかると、ゴールが見え始めてくる。
そのとき「こんなはずじゃなかった」「このままでいいんだろうか?」と行き場のない思いに苦しむ――それがミッドライフクライシスだと言われている。
突き詰めれば、それは「描いていた理想像との乖離」と「過去に対する後悔」。
誰もが心当たりのあるものだと思う。
若い頃なら、理想との乖離は「努力で埋めればいい」と信じていたし、やらないのは怠慢だとさえ思っていた。
でも折り返し地点に立つと、残り時間の短さがはっきりと見えてしまう。
さらに肉体的・精神的な衰えも否応なく実感する。
すると、次第に「もう無理だろうな」と考えるようになる。
後悔についても同じだ。若い頃はまだ過去が少なく、後悔は小さなものだった。
それに「これからの人生で挽回できる」「癒す時間もまだある」と意識せずとも思えていた。
しかし半生を過ぎる頃には、大きな後悔も積み重なり、それが今後の人生でも消えない傷だと理解し始める。癒すだけの時間も、余裕もない。
そうして、もうどうにもならない「理想との乖離」と「後悔」に覆われる。
これこそが、ミッドライフクライシスの閉塞感の正体だ。
しかも私の場合は、性格的にこだわりが強いせいか、その閉塞感も少々きつめに出て来ているのだろう。
誤魔化しか、受け入れか
では、どうすれば良いのか?
一般的には「新しいコミュニティに参加しよう」「趣味を始めよう」「家族との絆を感じよう」と言われる。
確かにそれも効果はあると思う。けれど、それはあくまで“対処療法”に過ぎない。
傷口が開いたまま、或いは傷口は塞がっているが傷跡は残ったまま、上からテープを貼って隠しているようなものだ。
孤独や不安を楽しい繋がりで誤魔化す――それで癒されるなら問題はない。
でもテープの下では、傷口が疼き続ける。
一方で「過去は変えられないのだから、今ある幸せに目を向けろ」という考え方もある。
それも正しい。
ただ、頭では分かっていても、その切り替えがうまくできないからこそ苦しむのだ。
「まだ何か、ワンチャン奇跡が起きて理想に近づけるんじゃないか?」
――そんな淡い期待があるからこそ、割り切れない。ガッデム!!である。
よしんば、もっと追い詰められた状況なら、悩む暇もなく必死に生きるしかないのだろう。
そう思えば、私はむしろ幸せな立場にいるのかもしれない。
しかし、この「中途半端さ」こそが閉塞感の源でもある。
私の落としどころ
結局のところ、問題は「理想と後悔の落としどころをどこに置くか」だろう。
もう少し歳を重ねれば、完全に諦めがついて、もっと楽に生きられるのかもしれない。
あるいは、何かに没頭することで「理想」や「後悔」そのものを忘れ、新しいフィールドに身を置けるのかもしれない。
私にとっては、このブログがその“新しいフィールド”なのかもしれない。
まだ先は見えないけれど、とりあえず今のところ、これが私の「落としどころ」だ。
この記事が、このブログの記念すべきトータル100記事目。
この先は「没頭」か?「葛藤」か? 101記事目以降に続いていく。
☕今日のアフタヌーンティーのおとも
– テーマ:ミッドライフクライシスの原因と対処法
– 気づき:理想と後悔の落としどころをどこに置くか?
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・死ぬまでにしたい10のこと ~人生の折り返し地点で考えること
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