『どうせまた…』という呪縛から抜け出すために

『どうせまた…』という呪縛から抜け出すためにについての記事アイキャッチ ☕人生のアフタヌーンティー

実は私はこれが初めてのブログではない。
むしろ何度も作っては消し、作っては消しを繰り返してきた。

これまでのブログ歴

最初にブログを始めたのはもう20年以上前のこと。

だから歴だけで言えばそれなりに“ベテラン”なのだ。
副業や仕事での営利目的で始めたものもあったが、そういうのは長続きしなかった。中にはわずか10日ほどで辞めたものすらある。(今書いているこのブログはミッドライフクライシス対策として始めたものなので、収入化を考え出したのは最近になってからだ。)

従ってブログを辞めるのも“ベテラン”の域だ。(笑)

だから、このブログを始めるときも当然のように頭をよぎった。
「どうせまた中途半端に終わっちゃうんだろうな」――と。

「どうせまた…」という呪縛

この「どうせまた…」は、私の中で度々襲ってくる。

年齢的なこともあるのだろうし、過去の経験則もあるのだろう。
厄介なのは、この「どうせまた…」が顔を出すと、やる前から諦めてしまって、新しいことを始める気力そのものを削いでしまうのだ。

しかし、ふと考える。
仮に中途半端に終わったとして、それで誰に咎められるだろう?
もちろん金銭的なリスクや命に関わることは家族に迷惑をかけるし、犯罪なんてやらかしたら社会から咎められるのは当然だ。
だが、個人的な挑戦で何か失敗したところで誰かに迷惑をかけることはそうそう無い。

むしろ仕事でも趣味でも、新しい挑戦や冒険をして「失敗したね」と世間から言われるくらいなら、それはそれで十分に立派な評価だと思う。

振り返れば失敗などない?

自分の過去を振り返ってみても、「人生の失敗」と言えるほどの出来事は思い当たらない。
もちろん 後悔したこと や、やらかしたこと は山ほどある。
だが、それらはどれも良い経験であり、今となっては良い思い出になっている。

では、「人生の失敗」とは何か?
例えばギャンブルで大借金を背負い、借金取りに追われて夜逃げする。アルコールや薬物に溺れて立ち直れなくなる。浮気して離婚、妻子を失う……。
私がイメージする「人生の失敗」はそれくらいのものだ。
だが、それだって本人にとっては「失敗」ではないかもしれない。
(離婚を「失敗」なんて言ったら怒る人もおられるだろう。)

改めて考えると、「失敗」って一体何なのだろう?
私は一体、何を怖がっているのだろうか?

プログラミングから学んだ失敗の本質

話は飛ぶが、学生時代に私は少しだけプログラミングをかじっていたことがある。

プログラミングの世界ではエラーなんて当たり前だ。
むしろ一発でプログラムが動くことの方が珍しい。エラーが出たら直して、また実行。それを何度も繰り返して完成させる。
まさにトライ・アンド・エラーの世界だ。

そう考えると、失敗=エラーは「直せばいい」だけのことなのかもしれない。
人生の締め切り――つまり“死期”までに完成させれば、それは成功だ。

今日からの「どうせまた…」対策

一度改めて自身における「人生の失敗」を考えてみると良い。
それらに比べると今目の前にある「どうせまた…」は大した失敗ではないはずだ。

中途半端にブログを辞めたって、別に良いじゃない。
10日でやめたプロジェクトがあったって、それで人生が終わるわけでもない。
むしろ10日間は何かに挑戦していたのだから、何もしなかった10日間よりもずっと価値がある。

今度「どうせまた…」がやって来たら「上等だ!」って言ってやろう!

……まあ、こんなことを書いても「どうせまた」誰からも反応は無いだろう。
でもこれは、私にとって決して失敗ではない!(涙)

☕今日のアフタヌーンティーのおとも

– テーマ:「どうせまた…」に向き合う
– 気づき:「人生の失敗」を考えると目の前の「失敗」なんて大したことない

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