最近やたらと、娘がスキンシップを求めてくる。
「最近コミュニケーションが足りてないかな…?」と、ちょっと反省する私。
思い返すと、自分が子どもの頃は、親とのスキンシップや会話なんて、知らないうちに必要としなくなっていた。だから私は「子どもは年齢とともに自然と距離をとるものだ」と思い込んでいた。だが、どうやらそう単純なことではないらしい。
成長とともに徐々に減っていくコミュニケーション
子どもが大きくなってくると、出来ることがひとつひとつ増えていく。
たとえばお風呂。服を脱がせて、髪や体を洗って、湯船に入れて、あがったらタオルで拭いて、また服を着せる。幼い頃は、これらが全部“親子の共同作業”だった。
だが小学生にもなれば、それらのことが自分一人で出来るようになってくる。
親としては「成長したな〜」「もうこんなことも一人で出来るんだな」と、嬉しいような寂しいような感情で見守っているしかない。
けれど考えてみれば、このお風呂を通しての「一連のコミュニケーション」が、知らない間に無くなってしまっている、という事に今更気付いた。
同様に、ご飯にしても、寝かせ付けにしても、「成長」という名で隠された親子の距離感が、気付かないうちに生まれてしまっているのかもしれない。
娘にとって「自分で出来る」≠「親との時間は不要」
これは盲点だった。
私からすると「自分で出来る(手が離れた)」=「自立」と早合点してしまっていたが、娘にとっては「自分で出来るようになること」と「親とのコミュニケーションが要らなくなること」は同じではないらしい。
身体の成長に比べると、心の成長は案外遅いのかもしれない。だからその“減った分”を埋めるように、一緒に宿題をやったり、カードゲームで遊んだりといった小3の子ならではのコミュニケーションを新たに増やさなければならないのかもしれない。
もちろんそうこう言いながらも、徐々に必要なコミュニケーションは減って、気付けば「父さん、あっち行って」と冷たく言われる日も来るだろうが、今は未だその時ではないらしい。
まだまだ「コンフォートゾーン」
どうやら私はまだ、娘にとっての「コンフォートゾーン(安心できる領域)」として必要とされているらしい。
とはいえ、こちらから過剰にスキンシップを仕掛けると、嫌がられることくらい分かっている(笑)。
子どもの自立は「親離れ・子離れ」の話で語られることが多いが、実際はそんな直線的なものではなく、行きつ戻りつしながら進むグラデーションなのだろう。
いつでも安心して戻って来れるように「どっしり構えて待っておく」くらいの気持ちで接するのが一番良い。
娘よ。ここだけは「早く未来が来てほしい」なんて思わない。
だからじっくり、ゆっくり、成長していっておくれ。
👣今日のちいさな足あと
– テーマ:子どもの自立を考える
– 気づき:自立はグラデーション。急に減らすと寂しい。
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